ブログ管理人:会社員(元僧侶)43歳

 

 

仏教について大多数の人が知らない真実をこれから話していきます。

 

 

 

   本来の仏教の教えとは何か?

 逸脱した日本の仏教…何が原因で逸脱したのか?

 仏教と葬儀屋との癒着、葬儀代のインフレ化はなぜ起こったのか?

 お墓は作るべきか?

 葬儀代を10分の1まで圧縮するには?しかも全額返金保証つきで…!?

 

 

 

この5つについて、明快かつシンプルに順を追って丁寧に、話していきます。

 

 

・・・その前に、

あなたは真実を受け入れる覚悟はありますか?

もしなければ、読み進めるのはやめてください。

見栄や世間体を捨て、強固に意志を貫く覚悟はありますか?

 

 

もし、この2つをクリアできるなら、このまま読み進めてください。

 

 

葬式はなぜこんなに高いの?と嘆くだけではなくて、

せめてこれから伝える真実だけでも耳に入れておいて欲しい…

 

 

そして、できればあなたの配偶者、家族、友人、会社の同僚にもこの真実をシェアしてみてください。きっと驚きを隠せないと思います。

 

 

注意深く読み進めてもらえれば…

読み終わる頃には、

 

 

 亡くなった人に対して、労力時間お金をかけて、ヘトヘトになりながらする葬式って本当に必要なのか?
 妻帯をして、五戒を守っていない僧侶から、お布施や戒名料など、高額な料金を払ってまでもらう意味はあるのか
 葬式をしなければ、成仏できないのか?お坊さんにお経を唱えてもらわなければちゃんと供養できないのか?
 ちゃんとした葬式をあげないと周りから白い目で見られるのではないか?
 49日忌とか一回忌などの法事ってそもそも必要なのか?死んだ人のために何度も何度もお金を僧侶に払い続ける法事っていったいなんなんだろう…
 死んだ人間にお金を使うなら、残された人間にお金を使うべきじゃないか?
 世間的圧力をかいくぐり、葬式の費用を10分の1にまで圧縮するには?(ヒント:マッチングサービス)
 10分の1の費用で確実に葬儀をしてもらうためにはどうすればいいのか?

 

 

 

こんなふうにあなたが不審に思ったり、疑問を感じていることは全て解決するはずです。

 

では、本題に入ります。

 

 

 

仏教の教えとは違う日本の仏教…

 

 

誤解されてたくないので、はっきりと伝えておきます。

 

驚かれるかもしれませんが、

仏教の開祖である釈迦は、

 

 

と言ったそうです。

 

 

釈迦は、決して「葬式を派手にしろ」とか「墓は大きいほうがいい」なんて、

一言も言いませんでした。

 

 

それどころか、

「亡くなった方の供養よりも生きている自分のことを大切にしなさい」

と言いました。

 

 

釈迦は80歳で亡くなりました。

その直前に弟子たちが、亡くなられたらご遺骸をどうしようと相談していたのです。

 

 

すると釈迦は、

「そんなことは心配するな、お前達は自分の修行のことを考えておれ。」

と言いました。

 

 

実は、釈迦のこの考え方は、日本の仏教にも脈々と伝っていたのです。

 

浄土真宗の開祖である親鸞は、

 

 

 

と言いました。

 

 

時宗を開いた一遍は、

 

 

と言いました。

 

このように、本来の仏教では葬式を重視していませんでした。

 

 

もっとも、仏教発祥地のインドの葬式は、遺体を火葬して、遺骨を拾ってガンジス川に流して終わりです。

 

 

費用は、火葬するために必要な木材費だけで、1,500円から1,800円程度で済みます。

日本の葬儀費用の1000分の1程度です。

 

そして聖なるガンジス川には年間13,000,000個もの遺骨が粉末にされることなく散骨されています。

 

 

そのため、お墓はありません

 

 

仏教の聖地でさえ、墓石は作りません。

(※細かい宗派の違いによって、中には墓地がある地域は微小ながらあります)

 

 

一方、日本の仏式葬儀の一般的なスタイルはどうでしょうか?

 

 

棺に入った遺体の周りに祭壇を組んで、生花やお菓子、缶詰などのお供えをして、通夜・告別式では3人くらいお坊さんを引き連れてお経を唱えます。

 

(イメージ)豪華絢爛!

 

それから戒名をつけてもらって、出棺して、斎場で火葬して骨壺に納骨して、墓石に入れてまたお坊さんがお経を唱えて…

 

 

さらにその後には、法事という行事が盛りだくさん控えています。

 

 

彼 岸 通 夜 葬 式 墓参り
初七日 初月忌 四十九日忌 一回忌 三回忌
七回忌 十三回忌 十七回忌 二十三回忌 二十五回忌
二十七回忌 三十三回忌 三十七回忌 五十回忌 百回忌

 

 

と法事は続きます。

 

 

もちろん、このような流れは本来の仏教の教えにはありません。

当然ながら法事をしなさいとか、戒名つけなさいといったことも釈迦は説いていません。

 

 

葬式をするということ自体、釈迦の意志ではありません

 

葬式 = 仏教の教え

ではなかったのです。

 

 

ではなぜ日本は葬式専門の仏教となり、本来の仏教の教えから逸れてしまったのか?

 

 

 

 

仏教が本来の姿を失った原因…江戸時代にできた檀家制度

 

 

釈迦も、高僧もみな

「葬式や法事のような形式的儀式なんて要らない」

と言っていたのに…。

 

 

なぜ、そんな仏教が、今日のような葬式専門の仏教になったのか…。

 

その原因は、江戸時代の檀家制度にあります。

 

 

江戸幕府は、キリシタン禁令を口実に「宗門改め」という庶民が必ずどこかのお寺の門徒にならなければいけないとしました。

 

 

それからです…

 

人々は、どこのお寺の檀家なのか人別張に記載され、それが一種の戸籍となりました。

つまり幕府(お役所)の末端組織としてお寺は組み入れられました。

 

 

布教の努力をしなくても、幕府の命によって人々は強制的にお寺の門徒(仏教徒)になるので、僧侶はどんどん堕落していきました。

 

 

次第に仏教本来の教えは色褪せ、いつしかお寺は信仰のためでなく、

死者を弔う葬祭場になりました。

 

 

この結果、江戸時代になると仏教は本来の姿を失ってしまったのです。

 

 

みんなが仏教徒になったので、宗教の「自由競争」が無くなり、仏教の信仰心と情熱は急速に薄れました。

 

 

ゆえに日本の仏教は宗教として一気に堕落し、僧侶は檀家の葬式と法事だけをする住職となりました。

 

 

それでも檀家は幕府の命により寺から逃げることが出来ず、

その慣習が現在まで続いている。

 

 

 

というものです。

 

つまり、仏教本来の教えから逸脱したものが今の日本の仏教の基盤となっています。

 

 

本来の仏教とは関係のないものが、さも古来仏教から伝承された行事のように親から子へ語り継がれ、何の疑問もなく、私達はそれにお金を払い続けてきました。

 

 

それだけではありません!

 

 

寺は本来、生き方を教えてもらう場所

 

 

本来なら寺とは、「いかに生きるべきか」を伝える場所です。

 

ところが、今では法要のため亡くなった人にお経をあげるためだけの場所と思われています。

 

現在、悩みを抱えている人こそお寺に行くべきものですが、

 

今や葬式や法事をするのがお寺だと思われています。

 

 

さらに、お経は本来生きている人が、仏教の弟子になるために唱えるものです。

つまり、仏教の教えを学ぶという意味です。

 

 

今ではお経は死んだ人に唱えるものと思っている人が多いですが、

実は、本来お経は生きている人が活用するものです。

 

 

同じように仏壇も死んだ人を仏様としてまつったり、

成仏するためのものではありません。

仏様はそこには居ません。

 

仏壇というのはお経を上げる人が仏壇の前で心を澄ませ、

お経を唱えるためのものです。

 

お寺も仏壇もお経も全部生きている人のためのものです。

 

 

お布施も、お寺に行ってお布施をあげて、坊さんにお経を唱えてもらったら

亡くなった人間が成仏するわけではありません。

 

 

 

そもそもお布施とは、本来の仏教の教えでは…

 

『自我への執着、お金や財産など物質への執着を断ち切る』

 

ための第一歩という意味合いがあります。

 

 

 

決してお坊さんのお経に対する労働の対価ではありません。

 

 

自分の煩悩を断ち切るために、進んで金品を捨てるという行為がお布施です。

 

そこには、自分の人生は誰にも頼らず、自分自身の努力で変えなさい、という仏教本来の教えが垣間見えます。

 

決して、仏様に甘えて祈りさえすれば救われるということではありません。

 

 

 

世界一高い日本の葬儀費用

 

 

 

日本の葬儀費用は世界一高いと言われています。

 

日本の葬儀の平均総額は178.2万円です。

(※葬儀費用・飲食代・返礼品含む、お布施は除く)

 

葬式の値段が高いのは、世界共通認識ではありません。

 

 

 

『葬式にどうしてこんなにお金をかけるんだ?』

 

と諸外国の人からは疑問に思われています。

 

 

なぜなら、

 

イギリスでは12万円

ドイツでは20万円

アメリカでは44万円

おとなりの韓国でさえ37万円

 

しかかからないからです。

 

ちなみにロケットを使って宇宙に打ち上げる宇宙葬でさえ費用は50万円前後です。

 

決して安い額ではないですが、それでも一般の葬儀費用と比較するなら、はるかに安いです。

 

 

宇宙葬でさえ日本の葬式の前では質素に見えてしまうのです。

 

 

なぜ日本の葬儀だけがこんなに高いのでしょうか?

 

 

 

 

「見栄」と「世間体」が葬儀代を吊り上げた

 

 

優秀な葬儀マンは「見栄」や「世間体」を気にする日本人特有の気質をしっかりと理解しています。

 

 

故人の遺徳をほめたり、家格を強調したり、会葬者の数の多さに驚いたりして虚栄心をくすぐります。

 

 

それと同時に葬儀のあり方が故人への供養や孝行の気持ちのひとつの表れであるというふうにもっともらしく語りかけ、

 

祭壇の大きさや棺桶の品質などのグレードを見事にワンランク、ツーランクと上げて、葬儀のグレードを上げていきます。

 

 

祭壇にしても、棺桶にしても、葬儀に関するものは、本当にピンからきりまで、さまざまなグレードがあるのです。

 

 

どうしてこんなにも料金の違いがあるのか?

 

 

 

決して、貧しい人でも利用できるように、低料金のものを設定したからということではありません。

 

 

 

うなぎ屋に入って、ひつまぶしのメニューに松竹梅があれば、なんとなく梅(最低ランク)を頼むのはみじめな気持ちになるし、かといって松(最高ランク)では気が引けます。

 

 

と多くの方が真ん中の竹を選ぶように、葬儀でもだいたいの人が真ん中のランクのものを選ぶのです。

 

 

そのときに料金が細かく分かれていれば、

葬儀マンの上手い口調で、ランクが一つでも、二つでもあげられてしまうのです。

 

 

 

その意味で、さまざまなランクをつくっているのも、

実にうまく消費者心理をついた葬儀費用を上乗せさせていくための「仕掛け」です。

 

 

その結果、葬儀マンの口車に乗せられている内に、簡単にランクが上がっていき、思いのほか、高額な葬儀をあげることになってしまうというわけです。

 

 

特に、会葬者の数や、返礼品など、

 

「恥をかきたくない、失敗したくない」

 

と思うと人は多めに見積もるものです。

 

 

また、故人の供養になる、気持ちを伝えるなど、非日常的な理由をつけることで、

 

「こんな時だからしょうがない、ケチるなんて罰当たりだ」

 

と、お財布の紐は緩んでしまいます。

 

 

中身はほぼ変わらず、原価にもほとんど変わりがないので、

グレードが上がれば上がるほどそのまま葬儀屋の儲けにつながります。

 

 

これこそが、日本の葬式が高いという現実です。

そして、死者を弔う気持ちと金額の大小は無関係だということです。

 

 

 

普段、仏教を信仰しているわけではないけど、

 

 

・なんとなく坊さん呼んで仏教式で葬式を上げ、

・なんとなく法事をやり、

・なんとなく「なむあみだぶつ」と念仏をとなえ、

・世間体を気にしてグレードを上げて金だけはかける

 

 

という傾向が日本の葬儀にはあります。

 

 

確かに、信仰心は無いけど、世間体を気にして、いわゆる「一般的」な葬式をあげようとする気持ちは十分に分かります。

 

 

というのも、世間体や見栄というのは、元来人間が持ち合わせた集団帰属意識という

心理作用が大きく影響しているからです。

 

 

 

本来なら神聖な儀式のはずの葬式ですが、葬儀ビジネスではこうした人間の心理作用を利用し、巧みな話術で金額をどんどん吊り上げ、いつしか利益率90%のビジネスとして確立しました。

 

 

今や葬儀市場は2兆円を超える巨大マーケットの1つとして成長を遂げたのです。

 

 

 

葬儀業界と結託し、システムに組み込まれた僧侶、

信仰心の希薄さと、集団心理を利用しビジネス化した日本の仏教…

 

 

釈迦がもし生きていれば、この現状を見て釈迦はどう思うのでしょうか?

大いに喜ぶでしょうか?それとも大いに嘆くでしょうか?

 

 

 

 

戒名に対する間違った認識

 

 

驚かれるかもしれませんが、

戒名は亡くなった人に付ける名前ではありません。

 

 

仏教に帰依(きえ)した人が出家するときに行う、

「受戒」に対して与えられる法名のことを戒名と言います。

 

 

出家し、今後は仏教の厳しい戒律を守ります。ということを誓った人の名前が戒名です。

 

 

つまり、本来の仏教徒なら、生きている間に戒律を受け、貰うものが戒名の本来の姿です。

 

 

 

しかし、実際は…

 

俗人のまま過ごし、俗人のまま亡くなった人に対して、お金を払うことで戒名を与えてもらっています。

 

さらに院号やら居士やら信士のように払った金額によってランクが変わります…。

 

 

 

そもそも妻帯をして、酒も飲んで、五戒を守っていない日本の僧侶から、

戒名をもらうことに意味があるでしょうか?

 

 

 

戒名は釈迦の教えにしたがって、厳しい戒律を守って生きると決意した人に、

しかも生きている間に授けられるものです。

 

 

俗人のまま過ごしてきた者が死んだという理由だけで、僧侶にお金を払えば自動的に、

仏教の道に入れて、成仏してもらえる。

 

しかも払う金額でランクをつける…

 

 

このような考え方、あなたはどう思いますか?

 

 

 

そもそも「墓」は必要か?

 

 

収骨(骨揚げ)は法律で決められていると勘違いしがちですが、実は、

習俗に過ぎません

 

 

ですから最近では、焼骨を火葬場で処理してくださいとお願いすると、

一筆書けばOKということで、引き受けてくれる火葬場が徐々に増えています。

 

 

 

火葬場としても、火葬したらその焼骨を持ち帰らなければならないという法律がない以上、

無理に持ち帰らせるわけにはいかない、ということです。

 

 

つまり、墓埋法では「葬」には埋葬と火葬しかありません。

 

 

 

実は、焼骨には本人であったことを特定できる要素は1つも残っていません

 

 

 

なぜなら、近代的火葬炉で火葬されて残った骨には、

個人識別要素は全くなく、生物の個体性を立証する最後の砦たるDNAすら喪失しているからです。

 

 

DNAが破壊する温度は1500℃~1600℃、火葬炉内の燃焼温度は2000℃です。

 

そのため、遺骨のDNAは消滅しており、DNA鑑定は不可能なのです。

 

 

 

ですから、

 

「骨を入れるためにお墓を作るのはお金がかかるから、墓を持たず、骨を処分したい。」

 

 

そのように考える場合には、そもそも火葬場でそのまま焼いてもらうのが1番費用を抑えることができます。

 

 

 

今ではよく知られていることですが、骨揚げをするために、火葬場では、温度を調節しながら、骨が適度に残るように焼いているのです。

つまり、儀式的な意味で、最期に骨を拾うわけです。

 

 

 

もし、どうしても気持ちの収まりがつかず、遺骨を残しておきたいという場合は、

小さくて持ち運びに便利なモバイル骨壺というのもあるので、

これなら家に置いても全く仰々しくありません。

 

 

法律的にも遺骨を自宅に置くことは何の問題もありません。

 

 

 

間違った日本人の一般的な「死生観」

 

 

人間が死んだらどうなるか、日本人に聞いてみます。

 

 

すると、幽霊(魂)になって、しばらくその辺にいる、と答える。

それからどうなる?と聞くと、

三途の川を渡って、極楽に行き、仏さまになる。

 

 

これが平均的な回答です。「お陀仏」というくらいで、人間は死んだら仏になると思っているのです。

 

まさに、死んだら成仏という定着のプロセスです。

 

 

この考え方が、日本人に定着させるきっかけとなったのが、浄土教信仰の浸透と言われています。

 

 

浄土教信仰は、基本的には「死後」に救いを求める教えですから、

 

 

「亡くなること=仏様」という概念が成立し、

 

 

これがそのまま、日本人の死後に対する、一般的な認識として広く受容されていくことになったわけです。

 

 

上の絵を見たことはありませんか?

 

これは、浄土教信仰における世界観を表したもので、

 

「早来迎(はやらいごう)」と呼ばれますが、

 

つまり、死んだら仏様がソッコー迎えに来てくれるというものです。

 

Amazonプライムナウよりもっと早くです。

 

あっという間に仏の世界、つまり極楽浄土へと招待されます。

 

 

 

俗人に生まれ俗人のまま過ごし、仏教など見向きもせず、自由に生きて、

そのまま俗人として死んだ人が、

 

なぜ亡くなったというだけで、仏様がソッコーで迎えに来てくれて、

仏の世界に招待されるのでしょうか?

 

 

 

 

釈迦が説いた本当の「死生観」

 

 

しかし、これはあくまで日本仏教における死生観であって、

 

本来の仏教、釈迦の教えは、

死後の世界については一切言及していません。

 

死んだ後のことを考える必要はない。

そんなことよりも「今が大事」。

 

 

 

釈迦に言わせれば、死んだ後のことをあれこれ憶測するよりも、

 

「今、目の前にある問題に真剣に取り組みなさい」

 

ということです。

 

 

そもそも仏教とは、釈迦が説いた「人はどう生きるべきか」を布教するものです。

 

ですから、

 

釈迦は死後の世界について何も語らなかった。

 

と言われています。

 

 

色んな弟子が聞いたが一切答えなかったという。

 

これを釈迦の「無記」といいます。

いわゆる、ノーコメントのことです。

 

 

 

釈迦は死後の世界があるかどうかという議論を全くしませんでした。

 

 

死後の世界があるのか無いのか、霊魂が実在するのかしないのか…

そんなことは釈迦でも分らない。

 

 

『死は誰にも分らない、ましてや死後の世界は誰にも分らない。』

 

ということです。

 

こんなエピソードがあります。

 

 

釈迦に死後の世界のことを執拗に聞いた弟子がいました。

名前は摩邏迦(まらか)、それで釈迦が言いました。

 

 

『ここに毒矢で射られた男がいるとする。

周囲の人々が慌てて医者を呼んだ。すると毒矢に射られた男が医者に向かい、

 

「そんな治療をする前に、まず俺を射た男を捜してくれ。そして使った弓がどんな形で、材料で、毒の種類も調べて欲しい、その答えが出ないうちは治療しては困る」と。』

 

 

釈迦は摩邏迦(まらか)に、この男をどう思うか?と聞きました。

 

 

摩邏迦(まらか)は

 

『その男は大バカだ、その間に毒がまわり死んでしまう。』

と言いました。

 

 

釈迦は、

『お前の死後の世界の質問も同じことだよ』

と言われ絶句した。

 

 

というエピソードがあります。

 

 

釈迦は、大事なのは毒の正体を知ることではない。

まず毒矢を抜いて、苦しみを除去することだ。死後の世界の問題にこだわる場合ではあるまい。

 

「大事なのは今の苦しみをどうやって克服すべきか。」

 

 

ということを弟子の摩邏迦(まらか)に教えたかったのでしょう。

 

 

分らないことは分らない。

そんなことは考えず、今の人生をしっかり考えようというのが仏教の基本なのです。

 

 

死後の世界は死ねば分かる。だから生きている間は、今どうやって生きるべきかを考えなさいというわけです。

 

 

仏教本来の教えは、「生の教え」です。

死後のことには重きを置いていません。

 

 

今、生きている我々が生きている間に、どうやって幸福になるか、いかに生きるかということを教えてくれるのが本来の仏教なのです。

 

 

 

しかし、この事実を知ってもなお、
見栄世間体の中で生きようとしてしまうのです

 

 

その最たるモノが「ムラ社会」ですが、

村八分にでもあおうものなら大変。

 

 

それが、日本人を動かしている大きな大きなモチベーションになっています。

 

 

特に葬式では、この見栄や世間体が顔をだす場面が多いのです。

 

たとえば、布施や香典の「相場」というものに、それが現れています。

 

 

布施や香典は、あくまでそれを行う側の気持ちによるとされているものの、

 

 

最も重視されているのは、自分がいくら出したいか、あるいは出せるかではなく、他人がいったいいくら出しているかです。

 

 

実際にあげられる葬儀の雰囲気や高級感、参列者の数といった部分から戒名のランクまで、見栄や世間体を過度に重視する気質が、どんどん葬式を高額にしていきました。

 

 

葬儀業界は、この日本人特有の気質を巧みに利用して、

葬式に関連した値段を大幅に釣り上げてきました。

 

 

檀家側の見栄も働いていて、高額の戒名料をとられたと嘆く人の発言を聞いていると、

実際に支払った額をあげるケースが多いですが、

 

でもそこには、戒名料の額を周囲に示すことで、自分の家にはそれだけの財力があることを暗に自慢しているところがないとは言えません。

 

 

寺の側としては、こうした檀家の心理も利用しつつ、

高額な戒名料を布施として得ています。

 

 

 

院号がインフレ化し、戒名料が高騰するのも、

戒名が、死後の勲章だと思われているからです。

 

勲章なら、できるだけ立派で、見栄えのいいものがいい。

 

そうした見栄や名誉欲が、葬式を贅沢なものにしていくのです。

 

 

 

先にも言いましたが、戒名は、釈迦の教えにしたがって、厳しい戒律を守ると決意した人に、しかも生きている間に授けられる法名です

 

 

死んだからと言って、お金を払えば戒名をもらえるわけではありません

 

 

古来から伝わってきた仏教の変容ぶりと、葬祭業者と僧侶の癒着も去ることながら、

いわば被害者のように振舞っている我々消費者側も、自分たちの心の中にある、

 

「見栄」「世間体」の存在に目を向けることが欠かせないことです。

 

 

ですから、どれだけ仏教の本来のあり方を説いても、

シンプルな葬式の合理性を説いても、

 

 

結局は、見栄や世間体に動かされて、高額な料金を支払ってしまうのです。

 

 

 

資格を持たないフリー僧侶

 

 

仕事を完了した僧侶は、頂戴したお布施の一定割合を、仕事を紹介してくれた

相手(ほとんどの場合、葬儀屋です)にバックマージンとして支払います。

 

 

なかには、こうした寺を持たない、いうならば”フリーの僧侶”を集めて、

「坊さん宅配便」なるプロダクションを経営している業者もあります。

 

 

各宗派の僧侶をとりそろえ、どんな葬儀の依頼にも対応できるようにしているのです。

 

 

何でも通販、宅配ビジネスの世界ですが、

ついには、お坊さんまで宅配される時代です。

 

 

ただ、こうしたプロダクションのうち、ひどい場合は、もともと僧侶の資格のない者にとりあえず頭を剃らせ、各宗派の葬儀のやり方、経文を覚えさせ、葬式に出させているところもあります。(※日本の場合、本当に1日で坊主なれる宗派があります。)

 

 

もはやこうなると、いったい葬儀というのは何なんだ!と言いたくもなりますが、

 

 

幸か不幸か、一般の人達には葬儀の次第も、またお経の意味もわからないから、

僧侶の姿形さえしていればありがたがってしまい、なんの疑問もなしにお布施を包むわけです。

 

 

ニセ僧侶がどこまで本当の話かわかりませんが、

フリー僧侶を派遣するプロダクションがあるのは間違いありません。

 

 

そもそも釈迦は葬儀に僧侶が関わることを禁じたそうです。

 

なぜなら、

釈迦には、人間が生来持ち合わせているそうした醜い心の存在を知っていました。

 

 

しかも、そうしたことをビジネス化しようとする際、

釈迦にいちばん近いところにいて修行していた僧侶が最も有利な立場にあることも分かっていたのです。

 

 

「有利」ということは、そのことを利用して、

一般人に対し傲慢な態度で接する可能性があるということを意味しています。

 

 

つまりお布施や戒名料の値段を吊り上げることはたやすいということです。

 

それゆえ、僧侶が葬儀に関わることを固く禁じたのです。

 

 

何度も言いますが、そもそも本来の仏教では、死後のことは一切説いていません

もちろん、葬送儀礼についても重きをおいていません。

 

 

 

今日当たり前のように行われている戒名や回忌法要といったことも、

もちろん説いていません。

 

 

 

お葬式をしないと決定するとき、一番難しいのは世間的圧力

 

 

 

これまで言ったとおり、葬式を重視するのは、

本来の仏教の教えではありませんが、

 

お葬式はやって当然のもの、と考えている人にとって、

お葬式をしないという選択はそう簡単には認められません

 

 

これは驚くほど、感情が絡む問題となります。

特に難しいのは、遠い親族です。

 

普段はほとんど、行き来が無いにもかかわらず、

こんなときに限って、いわゆる「一般的な葬式」をさせようします。

 

 

 

お寺を関係させずに、仏式では行わず、葬儀らしい葬儀もしない、

こう話したらどんな展開が予想されるでしょうか?

 

 

「それだと死者が成仏できない!」

「死者を大切にしていないのか!」

 

 

と、もっともらしい意見を言われ、非難を浴びることになります。

 

 

これまで故人が無宗教で何も信仰していなかったとしても、

そんなことはお構いなしに周りと同じようにさせようとする「風潮」が残念ながらあります。

 

 

親族間でもめたり、意見が割れたりといった、こちら側のちょっとしたほころび…

葬儀屋は見逃しません。

 

 

いわゆる「普通」を巧みに押し付けて、オプションをねじ込んできます

 

 

ですから、他の人に振り回されずに、きちんと意志を貫く方法を考えておくこと。

これが大切です。

 

 

 

お葬式をしないに対する批判をかわす方法

 

 

これをクリアするためには、「事前の策」が不可欠です。

 

前もって、この点など話し合っておかないと、その希望が通ることは難しいです。

 

 

とりわけ遺族と葬儀屋との板挟みにあって、とても苦しい思いをしますので、

遺族のためにも、生前に本人が自分の意志をはっきりさせておかねばなりません。

 

 

本人の意志というのは非常に重要です。

 

 

遺言や遺書も大事かもしれませんが、できるなら生前に本人が自分で話しておけば、遺族がその後に困った事態に巻き込まれることは防げます。

 

 

本人の意志がないとどうなるのでしょうか?

恐らく、葬式の場所や、どんな葬式にするのか、遺族間でもめる可能性が高くなります。

 

こうなれば悲惨です。必ず、生前に自分の意志は口頭で、文面で、あらゆる方法で残しておきたいところです。

 

 

家族が突然亡くなってしまった場合だと、

葬式はしないという決定をするのは、やはり難しい場合があります。

 

 

でも、事前によく話し合いができていれば、

そして、故人となる人(本人)の願いが伝わっていれさえすれば、

全く問題は生じません

 

 

万が一生じても最小限ですみます。

 

 

 

遺言書で「葬式は不要」と意志を固める

 

 

 

基本的に遺言書で明記できるのは、財産に関連した相続事項だけです。

 

他の文言は書いてあっても、なんら法的な意味を持ちません

 

ですから、当たり前ですが、遺言を書いておいたからと言って、

それが絶対、お葬式をしない保障にはなりません

 

 

 

でも遺書やエンディングノートのように、

法的な意味を持たなくても、自分の希望を書き記しておくことは可能です。

 

 

もちろん、直接話す方が強いですが、

文書にして、自分の意志を書き記しておくのは、

全く無意味ではないです。

 

 

法律的にも大丈夫、遺族としても大丈夫となれば、

あとは、葬式をしない具体的な方法をしっかり知っておけば、対処できます。

 

 

 

インドのように火葬だけの「直葬」を選択する人が増加中

 

 

お葬式をしないで、火葬のみで終わらせることを「直葬」と呼びます。

 

 

儀式・セレモニーとなる通夜や告別式などが一切無いので、

ただ遺体を運び、納棺し、火葬場で焼くだけです。

 

 

非常にシンプルで、費用は15万~25万円くらいで終わらせることが可能です。

近年、このスタイルが徐々に増えつつあります。

 

 

都市部では3割~4割の人が、ごくごくシンプルに、

お葬式をしないで「直葬」を選ぶと言われています。

 

 

 

直葬は桁違いに費用も手間もかからない

 

 

お葬式で最も費用がかかるのは、儀式(通夜や告別式)と宗教(お布施・戒名)です。

 

ですから、この部分を飛ばすだけで、

100~200万円の費用が浮きます

 

 

数日の間に急いで行う葬式をあえてせずとも、

落ち着いてから、故人と極めて親しかったご近所の人や、故人と学生時代からの友人など数人に声をかけ「お別れの会」「偲ぶ会」と称して飲食を共にしながら故人の思い出話をする事もできます。

 

 

なので、、、

 

 

直葬を渋らない葬儀屋を決めておく

 

 

これが重要になります。

 

 

もちろん直葬は、自分ですることも可能ですが、

 

遺体の穴という穴から(もちろん肛門も!)体液がこぼれ出すので、

穴に詰め物をしたり、

 

腐敗を避けるため大量のドライアイス(1日10kgくらい)を購入し、

しかも変色しないように脱脂綿を当てたり、

遺体を入れるための棺を用意したり…

 

 

実際にやるのは精神的にかなり消耗するので、決して楽な作業とは言えません。

とはいえ、自分で全て行えば、6~8万円くらいでできるので最も費用をかけずにすみますが…。

 

 

 

ですから、ほとんどの人が何らかの葬儀屋を使用することになると思いますが、

直葬を嫌がる業者はけっこういます

 

 

というのも、葬儀屋の儲けというのは、知ってのとおり、

儀礼部分(通夜や告別式)にあります。

 

 

 

祭壇のレンタル(数十万~数百万)や、葬儀の進行に関わるスタッフの派遣費用などが、葬儀屋の儲けです。

 

 

また、香典返しや精進落としなども別業者に頼むものなので、

しっかりキックバックを受け取っています。

 

 

 

ですから、この部分がそっくり抜けると、

葬儀屋としては、かなり「美味しくない」お客さんになってしまいます。

 

 

 

だからこそ、直葬を喜んで引き受けてくれる葬儀業者を探しておくことが重要です。

 

 

ですから、直葬専門のプラン(15万~)をしっかり押し出している会社であれば、

嫌な顔などされません。

 

 

小さなことかもしれませんが、直葬を進んで引き受けてくれる業者を探すのもストレスです。

 

 

ですから、まずは直葬を渋らない業者を選んでおくことが大切です。

 

 

 

>>直葬を渋らない葬儀屋から資料請求をしてみる(無料)

 

 

 

直葬(火葬のみ)の生前見積もりをしておく

 

可能であれば、直葬の生前見積もりをしておくことをおすすめします。

 

 

普通、葬儀の生前見積もりというのは金額が大きく変わるので、

事前に見積をとってもあまり意味が無いと言われます。

 

 

しかし、これは間違いで、

直葬の場合は、見積と実際に行う際の金額が大きく変わることはありえません

 

 

一般の葬儀は、通夜や告別式への参列者次第で、

香典返しや精進落とし・料理などが変わりますから、金額も相当上下します。

 

 

しかし、直葬の場合は、儀礼部分は一切無いわけですから、

基本的には遺体の搬出や火葬にかかる料金だけです。

 

 

金額が大きく変わることはありません。

 

 

ただ、地域によって、使える斎場や火葬場などが違いますので、

事前に見積をとっておくと安心できます

 

 

地域ごとの斎場や流れ、オプションの料金などもわかり、

いざというときの備えができます。

 

すべて込みで15万円程度で直葬が行えますので、

その分くらいは別によけておけば、残された遺族も葬儀に困ることはありません。

 

 

ちなみに法律で人が死亡すると、遺族に求めることは次の2つしかありません。

 

1.死亡届を出す

2.遺体を火葬する

 

これだけです。

 

 

もちろん釈迦が説く仏教本来の教えにも、

 

葬式を盛大にしろとか、

お墓を作りなさいとか、

戒名を与えなさい

 

なんて一言も触れていません。

 

それどころか、

「葬式をする必要はない。」

と言いました。

 

 

ですから、葬式させてあげたいという遺族の気持ちを汲んだとしても、

シンプルで終わらせておきたいものです。

 

一般の葬儀なら最低でも150万くらいはかかるかもしれませんが、

直葬(火葬)なら15万円で全てが終了します。

 

10分の1の費用でできます。

 

 

その浮いたお金で、子や孫の車でも買った方がよっぽど有意義です。

中古車なら2~3台は軽く買えます。

 

 

 

しかし、最悪の場合、自分の思い描いている葬式ができなくなる可能性があります

その最悪の事態を防ぐために、事前に注意しておかなければいけないことがあります。

 

 

 

 

病院に待機している葬儀屋に注意

 

      

    

まず、なぜ病院付きの業者がいけないのか?

 

葬儀屋にとっては、病院の指定業者になれば、人が亡くなったらそのまま葬儀を依頼されるチャンスが増えます。

 

 

しかし、24時間の対応で二人体勢をキープするとなると、

最低でも4日から6日に1回は宿直が必要になります。

 

 

二人体制で、1人30万円の給料を出すとなると、

1ヶ月分の病院業務をするには30万円×2人×5チームで、

最低でも月300万円の人件費(賃金の深夜割増や休日出勤等は計算していません)が必要になります。

 

 

…病院の1日の死亡者数が3人(この数字はかなり大規模な病院)だとすると、

月に90回、病院から霊安室に運ぶ業務があります。

 

 

今、病院業務で葬儀を依頼される確立は5%から10%と言われていますから、

葬儀の依頼件数は、5件から9件になります。

 

 

先ほどの病院業務の人件費をこの件数で割ると、一件あたりで30万から60万円の経費が上乗せになります。

 

これが病院付き業者の費用が割高になる理由です。

 

 

一件あたり、30万~60万円も上乗せしなければいけない、というのが衝撃的ですが、

そうでもしないと元が取れないのです。

 

 

これは、絶対的な経費のなので、これに加えて、病院に食い込むための接待費や、寄付、交際費もあります。

 

 

それもすべて、上乗せになるわけです。

 

 

病院付き葬儀屋の経費を考えると、とれるところからは少しでも取りたい、上乗せしたい

またはノルマがあることがわかります。

 

 

 

可能であれば、病院で亡くなった際は、病院で紹介された葬儀屋には手を触れない、関わらないのが得策です。

 

 

 

 

死人を待ち構える病院付き葬儀屋

       

 

     

 

しかし、病院に待機している葬儀屋も人が亡くなった瞬間が格好のビジネスチャンスです。

 

 

人は亡くなってから24時間以内に火葬してはいけない24時間ルールというのが法律で決まってますが、

 

病院の霊安室に24時間以上も保管してくれることはまず考えられません。

 

 

ですから、亡くなってから1~2時間のうちに、看護婦さんから、

 

「失礼ですが、葬儀屋はお決まりですか?」

 

と声がかかります。

 

 

この際に、病院と提携している葬儀屋が紹介されます。

 

公立病院なら入札で、私立ならカネとコネで入り込んでいる葬儀屋がたくさんいます。

 

 

主なセールストークは

 

「搬送だけ任せてください!」

 

 

というものです。

一度、搬送してしまえば、喪家の経済力も分かりますし、家に入り込めるので、受注できる可能性が高まるようです。(ちなみに搬送料金でも3万~5万かかるのが普通です)

 

 

最近はここまでする業者はめったにありませんが、

搬送には棺が必要と20万円以上の棺を買わされたり(搬送に棺は必要ありません)、

相場よりはるかに高い搬送料を取られたり、トラブルには枚挙がありません。

 

 

 

そのまま病院指定の葬儀屋で「搬送」してもらった結果、、、

 

・葬儀も流れで依頼してしまい割高な葬儀になってしまった。

・終始相手のペースで物事が進んでしまった。

 

など、その後の「葬儀」に関しても不満の残る人が多いです。

 

 

これを回避する策はひとつしかありません。

 

 

 

事前に葬儀屋を決めて打ち合わせしておくこと

 

 

その唯一の策は、

自分の希望する方法で葬儀を行ってくれる葬儀屋と事前に打ち合わせておくことです。

 

そして、亡くなってからすぐに搬送に来てくれるようにお願いしておくことです。

 

 

「すでに葬儀屋は決めております」

 

と返答すれば、食い下がってセールスが行われることはありません。

 

 

あくまでも、亡くなってから葬儀屋を決めるまでの一瞬の隙をついた営業が、

病院指定の葬儀屋の特徴だからです。

 

 

しかし、

病院で紹介された遺体を自宅まで搬送して、これから葬儀の打ち合わせに入ろうとしたときに、すでに葬儀屋が決まっているということがわかった時でも、

 

 

「そうですか、それでは、病院からご自宅までの搬送料だけちょうだいいたします。」

 

 

といい、5万円なり、6万円なりという金額を請求する業者もいます。

 

この搬送料はだいたい10キロ以内なら15000円前後が相場です。

 

 

 

しかし、そういうことも遺族の方は知らないことがほとんどなので、

「5万円」と言われれば5万円、「6万円」といわれればそれが相場なのかと思って支払うのです。

 

実際に、いくら請求するかを聞かずに、搬送を頼んでしまうのも悪いといえば悪いのですが、病院から紹介された業者なら悪質だとは普通思いません。

 

 

気軽に頼むわけですが、それが罠となります。

 

しかし、事前に打ち合わせしたからと言っても、まだ安心はできません

 

 

 

死亡してから1~2時間以内にすぐに病院に駆けつけることが確約できる葬儀屋にすること

 

 

しかし、

事前に打ち合わせを重ねてしっかりと準備を整えていたとしても、

いざ、亡くなったときに連絡がとれず、

 

 

1~2時間以内にすぐに病院に駆けつけることができなければ、

結局は病院に紹介された葬儀屋さんを使うなんてことになり、

せっかくの事前打ち合わせも水の泡です。

 

 

 

ですから、事前に打ち合わせをした上で、亡くなってから1~2時間のうちに、すぐに駆けつけることを確約できる葬儀屋でなければいけません。

 

 

その確実性が最も高いのは、いわゆるマッチングサービスを活用することです。

 

 

 

具体的に言うと、全国の提携している葬儀屋さんとコールセンターが連絡をとり、空いている葬儀屋をすぐに回してくれるというもの。

 

 

料金は明朗会計です。搬送料金はもちろんプランに含まれています。

 

 

デメリットは、葬儀屋を選べないことですが、

メリットは、確実な対応です。

 

 

ひとつの業者に依存しないので、安定感が増します

 

 

 

葬儀には一切お金をかけない「直葬」であれば、遺体を搬送し、そして火葬までの流れを確実に処理してくれる葬儀屋であれば、どこでも大丈夫です。

 

 

ですから、病院で亡くなったら、すぐに誰かがパッケージ価格で迎えに来てくれるという算段です。

 

 

 

死者を弔う費用はさらに小さくなる

 

 

今や、自分の人生を良く知らないお坊さんに高いお布施を払って、高額な葬儀にするくらいなら、家族葬や直葬をして、できる限りお金をセーブする時代に突入してきています。

 

 

鎌倉新書の最新の調査によれば、

葬式のスタイルは多様化し、家族葬の割合が増えてきています。

 

 

 

それでも依然として一般葬をする割合も5割とまだまだ根強い支持を得ているのも事実です。

 

 

しかし、団塊ジュニア世代の私達もあと20年くらいすれば親を送り出す時代に突入します。

 

 

そのとき確実に言えるのは、やっぱり今と同様に貧乏な時代に生きなければならないということです。

 

 

景気がよくて若々しい時代では、お金をドーンと使って派手に葬式することが、

「念仏唱えてサクセスを掴め」

みたいな現世利益的な宗教観が持てはやされましたが、

 

 

 

貧困まっしぐらの時代では、養育費や年金など、

生きている人間にすらお金が出せなくなっている時代です。

 

 

 

正当な代価であればいくら払っても惜しくないですが、

もともと不要なもののためにお金を払う必要はありません

 

 

 

死者を弔う費用はさらに小さくなるでしょう。

 

 

言うなれば、費用や労力、時間を極力抑えて行う“祭壇を設けない、

ごく小規模な簡易家族葬”の扱いで、

 

昨今は、“必要最小限葬儀”のスタイルが台頭してきています。

 

 

 

華美な祭壇や宗教儀礼に価値を感じない人も増えており、

支持される背景には、

 

「無用なものは省く」

「価値を感じられないものには費用をかけない」

 

 

といった、現代人の価値観が垣間見えます。

 

 

事実、医者や弁護士など富裕層での利用者も多く、

経済的理由から

 

「直葬“しか”できない」

 

ではなく、

本人や家族の意思で

 

「直葬“が”いい」

 

と望む人が増えているのが実状なのです。

 

 

葬式などの行事を多くの方が必要だからやっているのではなく、

 

周りがやっているので自分もやるという世間体見栄、もしくは強迫観念にかられて

なんとなく葬式をやるという時代はこれからますます風化していくことでしょう。

 

 

あなたがもし漠然と一般的な葬儀をしようと思っていたなら、

少し立ち止まって葬式のあり方を冷静に考え直すきっかけになったのではないでしょうか?

 

 

何度も話してきましたが、葬式というのは仏教本来の教えにはありません

 

仏教の本拠地インドでさえ直葬(火葬)して遺骨はガンジス川に流しています。

しかもわずか1,800円以内で…

 

 

 

さすがに日本で葬式を1,800円ですることはできません。

でも、必要最小限に抑え、通常の10分の1くらいまでなら費用を圧縮することは可能です。

 

 

 

「死」は突然やってきます。

元気なうちにどうするか決めておく。

この事前の策が何よりも大事です。

 

 

 

>>10分の1まで費用を圧縮。必要最小限葬儀の資料請求をしてみる(無料)

 

 

 

追伸:

よりそう葬式では葬式代の全額返金保証という常識破りなことをしています。

(公式HPより抜粋)

 

さらに、入院中、余命宣告を受けたなど、死期が迫っている場合、

事前予約をすることで、

最大50,000円の割引(直葬の場合は15,000円の割引)が受けられます。

 

 

事前予約とは、500円を先払いすることで、

申込完了の30日後から永年有効で割引が適用されるというもの。

もちろん事前予約も全額返金保証の対象です。

 

 

ちなみに、全国展開している葬儀屋の中で、全額返金保証をしているのはここ以外

他のどの会社もやっていません

 

公式HPを確認してもらえば分かりますが、

「イオンのお葬式」「小さなお葬式」にも返金保証はありません。

 

 

裏を返せば、お客さんが満足できる価格で品質の高い葬儀ができるから、

万が一にも返金保証をされることはないという自信の表れなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

>>全額返金保証のある葬儀屋で資料請求をしてみる(無料)

 

 

 

 

運営者